カフカ『断食芸人』について書きますo(`ω´ )o その2
どうも、チョビです。今日は昨日の続きで、カフカの『断食芸人』について、私が感じたことを書こうと思います。
昨日の記事↓
ネタバレになってしまうかもしれませんので、これから読む人の邪魔になってしまうかもしれません。もしそうなったらすみません。
『 断食芸人』から考えた、"自分を表現する"ということについて
私は昔、"自分を表現する"ということは、絵を描くとか、歌を歌うとか、役を演じるといった所謂芸術表現と言われるものを指して使われるもので、特別なことなのだと思っていました。
しかし言うまでもない当たり前のことかもしれませんが、日常生活の中で、例えば誰かと話して自分の意思を伝えることだって"自分を表現する"ことだし、好きな服を着ることだって"自分を表現する"ことです。そんなに特別なことではないのですよね。
仕事だってそうです。アーティストとかクリエイターと呼ばれる人たちの仕事だけが"自分を表現する"ということではないのですよね。
お金を得るために考えて、行動して、人に伝えて…ってやるのが仕事なのですから。(まあほとんど働いたことないんですけどね)
スポーツもそうです。フィギュアスケートや競技ダンスみたいな表現することをメインにするもの以外のものでも、新記録を狙うとか試合に勝つという目標を達成するために練習して体を鍛えて、技術を磨いて、パフォーマンスをする。
"自分を表現する"ということは特別なことではないし、生きていくということはそのまま何かを表現することとイコールなのでしょう。
長年勘違いしてきましたが、もっと早く気づきたかったです。思春期のころからの勘違いです。恥ずかしい。
それはまあ置いておいて、"自分を表現する"ということについてですね。
何かを表現するということは、生きることと切り離せないことであり、時間をかけて、少なからず命を削って行われることであり、その結果何かを生み出すということ。
断食芸人の場合は、断食という行為によって人の見世物になることでお金をもらって生きています。
この断食芸人がどんな気持ちで断食を行っているのか。生きていくためにお金を得る必要があるというのもそうですが、それよりも彼は「断食においては他の追随を許さない。自分は世界一の断食芸人だ。」というプライドのために断食を行っているのです。
そして、「断食せざるを得なかった。他にどうしようもなかった。」とも言っています。なぜ彼がそんなことを言ったのか、その理由を言ってしまうとひどいネタバレになってしまうのでこれ以上書くのはやめておきます。
芸として"断食をするフリをする"、"断食をしている人間を演じる"のではなく、わざわざ本当に断食をしている。そうまでして断食にこだわっている理由は、ぜひみなさんに実際に読んでもらって知ってほしいです。
ただお金を稼ぐならもっと割のいい仕事なんかいくらでもありますけどね。それでも彼は断食芸をしていた。彼にはそれしかなかった。
それでしか自分を表現できなかった。断食でお金をもらっているので食費はほとんどかからないけども、せっかくお金をもらっても趣味を楽しむ気力も体力もないことでしょう。しかも、断食芸以外の仕事ができないぐらいの歳になるまで断食芸を続けて、再就職に困る描写も作中にあります。もはや何が楽しくて生きているのかわかりゃしない。
断食芸人の場合は生きるためというよりただただ死に向かっている感じがするし、見ていて哀れな気持ちになってきます。
プライドによって断食をしていると書きましたが、強靭な精神というよりは、断食によって脳みそが萎縮して、途中で精神がまいって正常な判断ができなくなってしまっているためにそう思い込んでいるだけなのではないでしょうか。
スポーツなんかだときついトレーニングを積んで、本番の試合でも手足がもげそうになるぐらい、心臓が弾け飛びそうになるぐらい苦しい思いをして、ということがあっても、試合に勝ったりいい記録が出たりすれば嬉しいし、そうでなくとも全力を出し切ったあとは気持ちよさを感じることができます。
命を削って多少の苦しい思いはすることになるけど、その分気持ちよさも得られるし、成長できる。
見ている側も気持ちいいし、感動できる。
一方で断食の場合は、気持ちよさなんか欠片もないし、筋力が落ちて体力がなくなる。命削りっぱなし。ほとんど何も得られない。何も生み出さない。せいぜいわずかなお金と、断食の記録によって生まれる自己満足を得られるだけ。
人々の反応も、感動を与えるというよりは好奇の目に晒されるという感じ。
生きていく、何かを表現するということは命を削っていくことであり、死に少しずつ着実に近づいていくということ。生きようとする人間も、死のうとする人間も死に近づいていくことには変わりない。生きるために命を削るか、死ぬために命を削るか。
私は今、「自分にはこれしかない」とか、「仕方なく生きている」という気持ちで生きてしまっていますが、そんなふうに考えて無駄に命を削って生きず、楽しく生きるために命を削っていきたいですね。断食芸人みたいな生き方は嫌です。
最初はこんな感じの結論にするつもりはなかったのですが、書いてるうちに気分が変わってきました。
いろいろ書きたいことがありましたが、まとまらなくなってきたので今回のところはこの辺で終わりにしておきます。
終わりに
本当はもっとね、私の大っ嫌いなユーチューバー(嫌いというより嫉妬している)のことや拒食症のことなんかも絡めて書いてみたかったんですけど、長くなるしもっと収拾つかなくなるのでやめました。
ただでさえ文章書くのが下手くそでキモくてダメダメなのにカッコつけすぎてさらにわかりにくくなってますね。すみません。もっとうまく書けるように精進します。
明日は「最近ブログを書くのがつらくなってきた」をテーマに書こうと思います。それではまた明日。
カフカ『断食芸人』について書きますo(`ω´ )o その1
どうも、チョビです。昨日は愚痴って中身のない内容になってしまいましたが、昨日カフカの『断食芸人』について書くと宣言しましたので、今日は愚痴を書かずに宣言通り『断食芸人』について書こうと思います。
カフカの『断食芸人』とは?
カフカといえば、『変身』、『城』、『審判』が有名ですね。私は『変身』以外はまだ読めていません。
『断食芸人』は、その名の通り何日も断食をする様子を芸として、見世物として人々に見せる芸人のお話です。
興行を開催する地域の民衆から雇われた見張りのいる檻に芸人が入っていて、40日間の断食の様子を公開して各地をまわるというのが作中での断食芸です。
断食芸というのは架空のものではなく、実際に行われていたものだそうですよ。
痩せさらばえた芸人が、灯りと時計以外の家具のない檻の中で、藁の敷き詰められた床にただ座り込み、食事はもちろんなく(裏でこっそり食べさせるということもない)、観客に触られたり、質問に答えたり、コップに入った水で水分を摂るだけ。
水分補給ですら唇を湿らす程度ということなので、本当に徹底しています。
ちなみに40日間というのは断食芸人の断食の限界日数ではなく、興行として行われている断食芸を見物する客足が遠のいていく目安として興行師が設定している日数です。(芸人曰く、もっと長くできるらしい)
『断食芸人』の魅力
これだけ聞くと、もしかして「なんだ、人が断食してるだけの様子なんて見てもつまらないじゃないか」と、思う人もいるかもしれません。
まあ現代はもっと面白い娯楽がたくさんありますからね。例えばテレビのバラエティ番組、ドラマ、映画、音楽、演劇、ゲーム、小説…etc.
適当に挙げてみてもこれだけのものがあります。
この作品の魅力というのは、断食芸そのものよりも断食芸人の心理描写にあります。断食芸人がどんな気持ちで断食などというつらいことに取り組んでいるのか。
カフカお得意の第三者視点によって語られる、主人公の様子と心境。
人間の娯楽についてとか、精神についていろいろと考えさせられました。
終わりに
私の思ったことについて詳しく書いていきたいところでしたが、いろいろ書きたいことがあってまとまらないのと、眠いのと、あまり詳しく書きすぎるとネタバレになってしまって、興味を持って読もうと思った人の邪魔になってしまうかもしれないのとで、今日のところは一旦ここで終わりしておきます。
明日また続きを書きます。それではまた明日。
生きる気力…_(:3 」∠)_
どうも、チョビです。今日は1日ゴロゴロしていました。ちょっと落ち込むことがあったので、思考停止状態でした。もっと自分に自信が持てるようにしていきたいですね。どうも休日を有効的に過ごすことが苦手です。
何もする気が起きないのです。今こうして記事を書いているのも習慣を継続させる気持ちだけでほぼ頭を空っぽにして書いている状態です。
何かをしたい、しなければいけないけど何もしたくない_(:3 」∠)_
そういう精神状態で過ごしています。生きる意味がわからないなどと言い訳をして生きることから逃げようとしてしまう。そのくせ睡眠欲と食欲はしっかりある。そんなふうだからますます自分が嫌になってしまう。
このブログも何のために書いているのかわからない。自己表現の場が欲しいとか、お金が少しぐらいもらえるようになったらいいなとか考えて始めて、書いていることはただ自分のだらしない私生活や人間性についてのことばかり。
お金儲けのために何かをやったこともない癖に、お金儲けを考えているネットビジネスマンとかを批判する記事を書くこともある。
誰も興味ない自分の日常について書いたり、自分の愚痴を書いたり、気に入らない人を叩く記事を書いたりするだけ。こんなブログに何の意味がある。誰のためにもならない。誰かが楽しみに読んでるわけでもない。
やるならもっと人のために書くとか自分のために書くとか、お金儲けのためにブログを使うとか目的をはっきりさせなきゃあ…。
書くことがまとまっていない。芯がない。一貫したテーマもない。プライドを捨ててお金儲けのためにブログを書くこともできない。そんなことではダメなんじゃないか…。ただブログを書き続けることだけが目的になってしまっている。楽しくなくなってくる。誰にやらされるでもなくただ書き続けることにのみこだわって書くブログは虚しいし楽しくない。
すみません。またくだらぬことを書いてしまいました。今日はこれで終わります。書くことが決まっていないと明日もこんな調子になりそうなので書くことを決めておきましょう。
明日はカフカの短編『断食芸人』について書きます。それではまた明日。
今日もお疲れさまでした(_ _).。o○
どうも、チョビです。みなさん今日もお疲れさまでした。今日は、わからなかったことが少しわかったけど、またわからないことを聞くことができませんでした。
社長さんも私の勉強の進み具合を気にしてか話しかけてくれましたが、いつまでも話しかけてもらうことを期待していてはいけないし、進み具合を報告することも大切なので月曜日こそはもっとコミュニケーションをとれるようにしていきたいですね。何よりも一人でやるには限界がありますし。(フラグっぽい…。)
今日は何を書きましょうか…。んー、疲れたので今日はゆっくり寝たいですね。今まで早起きは得意…というか少なくともそんなに苦手ではないと思っていましたが、6時に目覚ましをセットしても結局7時に起きてしまうことばかりです。
間に合うからいいのですが、早起きができないのは悔しいですね。目的のない早起きだからつらいのでしょうか。何か目的や習慣を作ることを心がけようと思います。
あとは…最近読書をしていないので何か読みたいですね。読んでない本があるし、新しく買いたい本もいくつかあります。今まで読んだ本についての記事も書きたいです。
あとあと、ブログも読みたいです。全然他人のブログを読めていないので。自分が書くばかりでは限界があるし楽しくなくなりますしね。インプットが足りてないです。読むようにします。
今日はこんな感じで終わります。それではまた明日。
宗教の勧誘o(`ω´ )o 募金o(`ω´ )o
どうも、チョビです。今日も会社でわからないことを聞けず終いでした。まずいです。このままでいいのか?よくない。明日の私に期待しましょう。
今日は精神的に疲れました。何があったかは詳しく言いませんが。いろいろありました。考えてもしかたないことなので切り替えます。
ところで、昨日のブログで"手抜き"とか、"テキトー"とか書きましたが、これは昔からの悪いクセで、手を抜いたとかテキトーにやったとか言うことで人に何か言われたときのための予防線を張ったり、ウケ狙いのために言ったりしています。
でも冷静に考えたらそれは相手にすごく失礼なことだし、全然面白くないし、「俺はまだ本気出してないだけ」と言ってるだけに聞こえてかっこ悪いしで何もいいことがないのでこれから気をつけていきたいです。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、タイトルについての説明をしていきましょう。
【目次】
宗教の勧誘
今日、同じ高校の卒業生だという女性から家に電話がかかってきました。私は女性との関わりがあまりないのでおかしいな、と思ったのですが、折り返してかけてみたところ、宗教の勧誘でした。たしか南無妙法蓮華教がどうとか言っていたかしら。
実は2、3年前にも同じような電話がかかってきたことがあります。そのときはたしか東日本大震災の支援がどうたらみたいな謳い文句でした。
直接会って話をしたいということでしたが、そんな胡散臭い話にはさすがの私でも引っ掛かりません。高いインチキ商品を買わされたり、高額な入会料を請求されたり、怪しいセミナーに誘われたりするに決まっています。適当にあしらえる程度の相手で幸いでした。
かわいそうな人たち
誰が何をしようがその人の勝手だし別にどうでもいいのですが、ああいう輩のせいで宗教や復興支援活動に対して悪い印象を持ってしまうこともあるんだよなあ、と思います。
特に震災のことをダシにして人を騙そうなんて、被害にあってしまった人たちにすごく失礼じゃないですか。
どういう人間が運営しているか知りませんが、ああいう営業?勧誘?の電話をかける末端の会員の人たちなんかは例えば生活に困っているみたいな弱みにつけこまれて騙されたり、洗脳されたりしてしまったような人たちなのかなぁ、と思います。
まあこれは私の推測でしかないのですが…。少しだけかわいそうだと思いますね。同情してもしかたないですが。
あ、あと駅でアジア系の外国人が"恵まれない子どもたちのために…"とか言ってやっている募金詐欺。あれも嫌ですね。300円ほど払ってしまったことがあって少し悔しいです。学校の最寄り駅で。300円もあったらお菓子が買えますよ…。本当あの人たちどこにでもいますよね。私なんか田舎の方に住んでいるのですが、そこでも見かけました。本当にやめてほしい。
宗教にしろ、復興支援にしろ、本当にちゃんとやっている真っ当な人たちや苦しんでいる人たちに失礼です。
それに、「もしかして自分に恋していた子が今になって連絡してきたのか?」という私のドキドキした気持ちも台無しになりました。
…すいません。少しふざけました。でも期待してしまったのは本当です。女子にあまり好かれない自覚はあるのに、たまにそういう期待をしてしまうおめでたい頭をしています。アホですね…。
まあとにかく、あんなことしても誰も幸せになりません。私がこんなところで批判したところでどうにもなりませんが、少しでもなくなることを祈りたいものです。
終わりに
今日は宗教の勧誘嫌だなぁ、というお話でした。この前のネットビジネスといい、何かを批判してばかりですね。まあしかたない部分もありますが。
もっと統一性を持たせて面白い記事が書きたいし、ブログ以外にも何かやりたいなあ、と思います。ブログのタイトルすらまともに決められていないので。
まあそれはまた追い追い考えていくことにしましょう。
今日はこれで終わります。それではまた明日。
行き詰まってきた_| ̄|○
どうも、チョビです。昨日はくだらない愚痴を書いてしまいました。今まで何度か書いてしまっていますのでこれからもあんな感じのことを書いてしまうかもしれませんが、できるだけ気をつけます。
どうも昔から物事を否定的に考えるクセがついてしまっていけないですね。前に書いたと思いますが、ネガティブに考えると辛い一方で、妙に落ち着くような感じの気持ちになってしまうんですよね。
それと、ネガティブに考えることで何か生まれるんじゃないか、と思うこともあるのです。例えば…パンクロックとか?鳥居みゆきさんも嫌なことをメモしてネタを書くとか言っていた気がします。
冷静に考えたらアホですけど、ネガティブな考え方をしたら、そういうものを原動力にしている人たちみたいに素晴らしいものを生み出せるようになるのではないか、と心のどこかで勘違いしてしまっているのでしょう。
創作的な趣味を持っているわけでもないのに…(_ _).。o○
ネガティブな要素や考え方を元に何かを生み出せる人間もいますが、私にはせいぜい昨日みたいにくだらぬ愚痴を垂れ流す程度のことしかできないでしょう。
早くその勘違いを捨てられるようにしたいですね。そしてバランスのいい思考を心がけたいです。あと何か創作的なことも始めたいですね。
今日も今日とてくだらぬ戯言を書いてしまいました。まとまってないしあまり書く気が起きないまま書いているので仕方なしということにしておきましょう。
あとは…最近勉強が行き詰まってきてやばいです。今日なんかほとんど進みませんでした。明日は用事があって時間が少ないし…。
家で解決方法を考えて、わからないことはきちんと聞いて解決していきたいです。
今日はこれで終わります。いつも以上に手を抜いてしまいました。それではまた明日。
そなたはなぜ生きる(_ _).。o○
どうも、チョビです。今日は会社の人に話しかけることができました。世間話とか雑談ではないですが。
これからもどんどん話かけていきたいですね。というか話かけないとわからないことが聞けなくて最近詰みかけているのでダメです。
最初の一歩を踏み出して満足しがちなので気をつけたいです。
自分で考えてやってみることも大事だけど、時間がかかりすぎるのでもっと聞いて早めに解決させてペースアップしていこうと思います。
さて、タイトルのことですが、別にありがたいお話をくれてやろうとか、「生きる意味とは何ぞや」とか、「生きる意味というのはこういうことだ」なんて話をするつもりは全くございません。
むしろ逆に、非常に無意味で、非生産的で、不快な話をしてやろうと思います。甘ったれたクソ野郎の愚痴です。読む価値は全くありません。読まない方がいいです。時間の無駄です。お引き取りください。貴重な時間を無駄にしてすみません。私が書きたいから書くだけです。
私は真剣に生きたことがありません。何かに必死に打ち込んだことがありません。勉強も、スポーツも、遊びも、就職活動も、何ひとつまともに打ち込んだことがありません。
そもそも、真剣に生きる気がありません。ジャンクフードをドカ食いして、好きなだけ寝て、漫画やアニメを見られればそれで満足なのです。何か自分の理想を追求したい、自分で何かを生み出したいという欲求が持てないのです。正確に言うと、理想を追求するための努力をする気にならない。「もしこうだったら」と妄想はします。そして、それで満足してしまうのです。
それなのに、後悔ばかりしています。もっと他の人間がしているように生きればよかった、あのときああしていれば…と思うことばかりです。他人の人生を羨んでばかりです。
自分が後悔するだけならまだしも、他人に迷惑ばかりかけて生きてきました。だから、生きているのが嫌なのです。
生きているのが嫌、と言いましたが、それは他人に対する申し訳なさによってではありません。申し訳ないと全く思わないわけではないですが、どちらかと言えば自分の今までの人生でしてきたことがなくなってしまえばいい、受け入れたくないという気持ちが大きいのです。
別に今までの人生で貧困に苦しんだとか、壮絶ないじめを受けたとか、大きな挫折をしたということはありませんでした。友達がいなかったわけでもありません。まあ女子には嫌われていましたが…。それは私の性格と行動と、能力の低さのせいなので。
私はどちらかと言えば何不自由なく生きてきた方です。勉強に関して特別熱心に教育を受けさせられるということもなかったので、人一倍ヌルい人生を生きてきました。
本来なら、生きているのが嫌だなんて言う資格はないのです。それなのに生きているのが嫌だと言う。しかし自殺をするつもりもない。楽しいことは受け入れたいが、一切の苦しいことはまっぴらごめんだと思っている。
今まで人に迷惑をかけてきたことや、自分の過去を受け入れて努力することから逃げたいと思っている。非常に無責任で自分勝手な考え方だと思います。
奨学金を借りていたのですが、返し終わったら死んでしまっても構わないかな、と思ってしまったことがあります。最低な考えです。人生のいいとこ取りだけしようと思っていました。
生きていて楽しくないわけではない。ないとしても、これから楽しみを見つけていけばいい。
でも、楽しみを見つけることすら面倒に感じてしまっている。死にたいほど苦しいことがあったわけじゃない。でも、今のところあまり楽しみが見出せない。
変わらなきゃいけない。こんな自分を含めて誰が読んでも何の得にもならない、不快な気持ちになって時間の無駄になることしか書けない人間のままではダメだ。
長々と書いてしまいましたが、まとまらなくなってきたのでこれで終わります。すみませんでした。