検索汚染日記

読書とかお笑いとか日頃の愚痴とか面白いと思うものについて書きます。お気持ち表明ブログ。せっせとネットの海を汚します。

「インスタのストーリーズ機能だけでクリエイティブする人」を叩きたいだけの記事

 最近、インスタのストーリーズ機能だけでクリエイティブする人と称して活動しており、カメラマンの写真の無断使用などで炎上したせとりょう氏(Twitter:@uverchab313)のことが気になる。

 持ち上げるわけではないが、彼には正直、嫉妬というか…羨ましいなという気持ちがほんの少しある。

 俺は何ひとつ人並みにできないくせにクリエイティブなことへの憧れを口にして何も行動しない、自己顕示欲と承認欲求だけは人一倍あるただの無職…そんな人間だからだ。

 やっていることと言えばこんなショボいブログで憂さ晴らしすることぐらい。

 人気者が羨ましい。何かできる人間が羨ましい。

 叩きたいってタイトルに書いたが、正確には彼自身を叩きたいと言うよりも、彼の行動から見える自分自身…俺自身の嫌な部分を叩きたいのだ。ああいう人を見ると自分のコンプレックスが刺激されて仕方ない。俺は他人に自己投影してしまいがちなのだ。

 スッキリするため、自分への戒めのために書くことにした。ここで書いていることは彼への悪口であると同時に俺自身の自己紹介でもある。

 

 誰にでもできる表現方法ではないのはわかるが、嫉妬の気持ちから、彼の表現方法への批判の言葉が心に浮かんでくる。「2ちゃんねるの人のアスキーアートの方がすごい」とか、「カップヌードルのアレンジレシピを投稿してバズっただけで料理人気取りしてるようなもん」とか、「若宮正子さんのExcelアートみたいなもんだろ」とか、「Illustratorとかをちゃんと使いこなせる人の方がすごい」、「そもそもこのプロフィールの調子に乗ってる感がムカつく」などと思ってしまう。自分は何もできないのにね。みっともない。

 

 別に彼の表現方法…インスタのストーリーズ機能を活用するというのが悪いわけじゃなく…実際デザインのセンスは感じられるし(正直俺は素人だからよくわからんけど)、絵心がないわけでもないみたいだし、そこは認めたい。

 ただ、最初は遊び心で作ってた物が自分の予想以上に評価されてしまって、それでいい気になって、本人も言っているように勉強不足…知識不足のまま軽々しく他人の創作物を扱って…ってなってしまったのが残念だと思う。

 物を作ることそのものの楽しさや、やり甲斐よりも、「自分はこんな手法を思いついたからすごい。特別だ。もっと見てくれ。」と言う気持ちが大きくなってしまったのかもしれない。

 

 無責任に話題欲しさで彼のことを記事にしてヨイショしてしまったキャリアハックなどの会社も良くなかった。結果一人の若者の勘違いを増長させて、自社の信用を落としてしまうことになったのだから。誰も幸せにならない。

 

 現代ではSNSによってクリエーターの見事な作品をたくさん見ることができる。当然それには膨大な時間が費やされているわけで、でもその点が軽視されがちなことがある。努力…悩み…葛藤…そういう苦しい部分よりも、キラキラ輝く作品の方に目が行きがちになる。

 作る人間でなければ想像できないのかな。冷静に考えればわかることだけど…。クリエーターの創作に限らず一般の会社員にも言えることで…無茶な納期の要求をする管理職や営業マンのせいで苦労する現場の人の投稿をTwitterでもよく目にする。

 仕事で消耗する会社員の声…クリエーターの作品が簡単に届く今の世の中…それが彼を「自分は会社員で消耗せず、自分の力で、好きなことで食っていくんだ」みたいな感じにしてしまったのだろうか。

 彼がそう思っているかはわからないし…俺自身がそういう気持ちを抱いているだけだけどね。

 

 さっきも書いたけど、別にストーリーズを活用することが悪いわけじゃない。創作を始めるきっかけは大抵の場合遊びからだろうから。

 大げさなことを言うと、あのビルゲイツだって最初はコンピュータで遊ぶのが楽しかったからものすごく勉強して、独自の言語を開発するとかどんどんステップアップして今に至るわけで…せとりょう氏にも今回の間違いがなければ、ストーリーズ機能を使う、からデザインソフトを弄れるようになるとか…写真を撮れるようになるためにカメラを始めるとかっていう方にシフトしていく未来もあり得たのかもしれない。

 何ひとつ自分の力で創作できない俺がこういうことを言うべきではないのかもしれないが…彼は「それっぽいもの」を作っていただけだった。「広告のデザインや雑誌の表紙のデザインってこんな感じ」というものを。創造というより模倣の領域。趣味、お遊びだけならそれでよかったかもしれない。でもお金の発生する仕事にしようとしてしまった。欲をかいた。

 すべての創造は模倣から。模倣…学びがあって創造ができる。だから模倣そのものが悪いわけじゃない。

 でも、「自分はすごい」という気持ちだけで、「それっぽいもの」を作るだけ…ただ模倣を繰り返すだけ…注目されたいだけ…自分の本当に作りたい物、表現したいことを考えず、物を作ることの本質に向き合わない…それだと今回のことがなくても遅かれ早かれ行き詰まっていたと思う。

 

 とりあえずTwitterの投稿は現状控えているみたいだけど、プロフィールの文章を変更していないのと、今までの作品を消していないこと、アカウントを削除する気配がないところから、多少反省はしているけれど、まだまだ現実を受け入れられていない…積み上げたものにしがみつこうという気持ちが消せていない感じがする。

 そもそも彼は大学で何を専攻していたのか知らないが…デザイン系ならもう少し著作権への意識が高くてもいい気がするし…。就職はどうするのかな。まさか卒業後このままフリーランス…とか考えていたから企業への内定がないとか…?心配だ(無職なんだから自分の心配をした方がいい)。

 活動をやめろという声もあるけど、俺はそこまでは思わない。本当にクリエーターを志すなら若いんだからやり直せばいいと思う。見込みゼロというわけでもないし。

 ただその場合、今の結構なフォロワー数のアカウントを残してやり直しの起点とするのか、今のアカウントを削除して真っ新なアカウントで活動するか…どっちがいいのかね?まあ俺には関係ないことだけど…。彼のことは正直どうでもいいし…。

 あ…いずれにしても「インスタのストーリーズだけでクリエイティブする人」っていう肩書き…看板は調子に乗ってて嫌な感じがするので外した方がいいと思う。

 

 まとまってないけど飽きたしスッキリしたから終わる。

 

 

仕事を辞めてから何もしていない

 1月末に会社を辞めた。それから何も求職活動らしきことをしていない。雇用保険の申請もしていない。ハローワークが大嫌い。やったことと言えば保険の切り替えと、ちょっとやりたいことがあったので、パソコンに入っているAdobeのソフトを使えるように更新したことぐらい。

 世間では新型コロナウィルスが流行して大変な騒ぎになっている。熱が出ていないのでコロナではないと思うが、私も2月下旬は体調を崩したので一週間ほど念のためほぼ自宅に籠って過ごした。まあ実のところ求職活動をサボる言い訳にしていただけなのだが…。

 

 コロナと言えば、私はツイッターが好きで依存症みたいになっているので一日に何時間も見るのだが、最近はコロナの流行のせいでマスクの転売がどうだの、トイレットペーパーの買い占めがどうだの、思いつきによる全国の学校への休校要請を始めとした安倍総理のダメダメな仕事ぶりの話だのばかりで、見ていると気分が落ち込む。

 しかし求職活動も勉強もせず、安全圏に籠って日々をダラダラ過ごしている自分にはそんなことを言う資格はないのかもしれない。安倍総理は好きではないし擁護する気も信奉する気もないが、そもそも働いてすらいない自分に、一応働いていることになっている安倍総理の仕事ぶりに対してとやかく言う資格もないのではないか。

 このブログも検索汚染と時間の無駄にしかならない。毒にはなるが薬にはならない。ただ「何かをやっている感」を満たしたいだけ。安倍総理と同じようなもの。「やっているフリ」をしているだけ。自分も働いている当時は「やっているフリ」をしていただけだった。誰かの励ましにも、自分への励ましにもならない。自分は一体何をしているのやら。何のために生きているのやら。

 

 

 話を変えるが、『罪と罰』、『カラマーゾフの兄弟』で有名なドストエフスキーの作品に、『地下室の手記』というものがある。役所勤めの男が、親戚の遺産を相続したのを機に仕事を辞めて、自宅の地下室に籠って手記を書いて生活する…それも出版するためでなく、「人間には労働をしていなくても、何かしらの『仕事をしている感じ』が必要であるから」というような理由で書いている。

 あとはその男がどんな人間だったか、職場の人間とどんな関係だったか、同窓会か何かの時に出会った娼婦と何があったかとか、そんな感じのことが書かれていたと思う。太宰治とかカフカの作品によくありがちだけど、自意識過剰というか…余計なことを考えすぎてて生きてて疲れないのかな…と思うような内容だった。少なくとも明るくなれる話ではない。

 正直その作品を読んだのは数年前で、読み返したり読書ノートをつけたり、熱心に読書に取り組む方ではないので、不幸にもこの記事にたどり着いてしまった皆様に対して、正確なあらすじをお伝えすることも、作品の魅力をお伝えすることはできない。伝える気もない。

 ただ、今なら少しその作品の主人公の言っていることがわかる気がする…だから書きたかっただけである。

 

 しかし自分はその小説の主人公と違って、いつまでも安全圏に籠ってはいられない。貯金が減り、時間だけが過ぎて空白期間が長くなり、体力も衰え、やる気もなくなり、家族の視線も冷たくなっていく。

 現状、「仕事をやっているフリ」で会社に寄生していた人間が、「何かをやっているフリ」に逃げているだけである。

 どうすればいいのか、答えは出ている。働かなければならない。何ひとつ人並みにできることはないが、何とかして働かなければならない。もう今年で26になるのだから、「自分のやりたいことは何か」とか、「自分にできることは何か」とか、夢や妄想に逃げず、厳しい労働環境に身を置いて泥水をすする以外に選択肢などあるわけがない。

 どうせ何をしても無駄なのだから。今から何を始めたところで。独学でも学校に通うのでも、どうせ自分は逃げる。そんな風にしか考えられない。

 でももうしばらく逃げていたい。クズだから。逃げることができなくなるまでひたすら逃げて、ボロ雑巾のように使い潰される未来しか待っていないところまで逃げる。そして死ぬ。それしかない。

 親の期待には応えられない。恥ずかしくない、安定した会社でコツコツまじめに働くという期待を親は抱いている(と私が勝手に想像している)。

 大学まで行かせてもらったのに今まで何も学ばなかった。結果何もできない、人に迷惑をかけるだけの汚い人間になってしまった。そんな人間が今更何をしたところで無駄。「自分のやりたいこと」なんて、考える資格すらない。自分を信じられないのに、親に期待されるのは嫌だ。

 別に親を恨んでいるわけではない。衣食住足りて、何不自由なく育ててもらったし、それなりにやりたいことをやらせてもらってきた。感謝こそすれ、恨むことなど何もない。頭が悪くて、そのうえ癇癪持ちで扱い難いことこの上ないダメ人間な私に対して、よく手にかけることなく成人するまで養ったものだ、と思う。母も割と感情的になりやすい方の人間ではあるが、それは私がダメな人間だったことが全ての原因なのだ。

 世間…特にSNSを見ているとよく「毒親」なる言葉を見かける。人格が捻じ曲がっている私はついその手の話に共感してしまいそうになるが、それは逆恨みでしかない。私の場合は私自身が「毒子供」だった。

 ただ自分が悪い。でも死ぬこともできない。ごめんなさい。

 

 

 

 

ユーチューブのアカウントを作った。

 ユーチューブのアカウントを作った。ユーチューバーになってワンチャン…などとは思っていない。

 とりあえず何か始めてみようと思って。昔作った動画を投稿した。

 これから色々作っていきたい。

 

https://youtu.be/Q_SL0tck0Nw

全てから逃げたい。愚痴。全部無駄な愚痴。

 先日、会社を無断欠勤した。きっかけは、仕事でミスをしたことだった。

 取り返しがつかないほどのものでは無かったが、修正には他の人の協力が不可欠。そしてそのミスが起こる前から自分は連日失敗続きで、「もっと慎重にやるように」と釘を刺された直後のミスだった。

 ミスをすること自体は誰でもある。例えば医者の手術が失敗して患者が亡くなるとか、会社が倒産して社員が路頭に迷うとか、本当に取り返しのつかないものでもない限り、大抵のミスは何とかなる。どうすれば挽回できるか、次からミスしないためにはどうするべきかを考えて行動すればいい。というか、そうするべきである。

 しかし私はそうしなかった。無責任に、他の人へ後始末を押し付けるようにして逃げた。出勤せず、会社の人からの連絡も無視して、いろいろなところをウロウロしていた。このまま所持金が尽きるまで彷徨って、野垂れ死んでしまえばいいと思っていた。

 商業施設や漫画喫茶などで夜を過ごした。お金がもったいないし、どうせ死ぬなら何も食べず、何も飲まずにいようと思って何も口にしなかった。たった2日のことだったが。

3日目になって親から捜索願いを出したというLINEが来たので、流石に少し冷静になって、迷った末に家に帰った。仕事で無責任な人間は、家出すらも中途半端だった。

 それからはとりあえず数日休むことになり、大体の時間を家に引きこもって過ごした。休んでいる間、これからのことを少しも考えなかったわけではないが、机に向かって考えをまとめるようなことはしなかった。正直死にたい…いや、逃げたい気持ちがずっと消えなかった。

 しかし週末に社長から家の固定電話に電話がかかってきたので、話すしかなくなった。考えがまとまっていないのに。

 「もう続けていくのは難しいと思います。」と答えた。親兄弟もいる空間で。

 私の家族はみんな割と甘い人間なので、特に私のことを責めるでもなく、いろいろと慰めの言葉やアドバイスをくれたが、正直逃げたいということ以外考えられなかった。

 そして、今週の火曜日に私物の整理やら離職票の受取りやらのために会社に行き、会社を辞めてきた。

 会社の人たちはみんな優しいので、とんでもなく非常識な行動をしてしまった自分に対しても特に罵声や嫌味を言ってくることはなかった。社長もいろいろとアドバイスをくれた。

 せっかく社会人経験もなく、能力の低い私にチャンスを与えてくれたのに、私は頑張ることができなかった。散々会社の人たちの足を引っ張って、時間を無駄にして、会社をめちゃくちゃにしてしまった。辞める時も散々迷惑をかけて辞めた。最低だ。

 今までの人生で何も身につけず、就職活動をいい加減にやってしまったためにこうなった。2年半程の会社員生活の中でも何も身につけられなかった。

 

 私は何もできない。何一つ人並みにできることがない。私ほど何もできない人間はそうそういないと思う。今年で26になるが、本当に何もできない。ずーっとボケーっと生きてきた。何も学ばなかった。頑張らなかった。学校の勉強も、部活も。生産的な趣味もない。

 最終学歴は私立大学の文学部卒業。卒業論文はひどい出来だったのでお情けで卒業させてもらったようなものだと思う。高校どころか小学校レベルの問題も解けないほどに学力は低い。父親に何百万も払わせて、自分はバイトもせず、何も身につけず、遊び呆けていた。父親に大金を払わせて大卒資格を買ったようなものだ。

 資格はAT限定の普通免許だけ。仕事で運転することもあったが、決まった道しか走らなかったので何とかなっていただけで、地図を見て道を記憶して運転するということが出来ないからナビがなければ行動できないし、何よりバック操作が苦手で車庫入れはおろか駐車場での駐車すらもできないので、とても運転スキルがあるとは言えない。本来免許を持つべきではない人間。

 運動はあまり得意な方ではないし、絵を描くとか、歌を歌うとか、何か作るとか、所謂芸術的なセンスもない。手先がものすごく不器用。

 一般常識がないし、人の話を聞くのも苦手である。理解力がない。考える力がない。

 性格も悪い。挙動不審で、人とうまく話せず、他人に不快な思いをさせてしまうことが多い。

 幸いなことに容姿が醜いとかでいじめられるようなことはなかったが、雰囲気や言動がキモい上に能力が低いので特に女性にはよく避けられる。

 小学生の頃は問題行動ばかりしていたので、実は自閉症と診断されて最近まで病院でカウンセリングを受けていた。

 しかし、自分としては障害が本当かどうかは問題でなく、自分が何もできないゴミになってしまったのは、単に子供の頃から物事を何一つ真面目にこなして来なかったからだと思っている。親の教育がどうとかいうつもりはない。全て自業自得なのだ。自分のせいだ。

 でも、最近特にそうなのだが、親が自分に対して「あんたならできる。普通に生きて行ける。」みたいなことを言ってくるのがつらい。自分では絶望的に能力が低いことがわかりきっていて、何事も諦めてすぐに逃げる癖がついているのに、そんな言葉を言われても嬉しくない。「俺のことを何も知らないくせにそんなことを言うな!」と思ってしまう。罵倒されるよりはマシなのかもしれないが、つらいものはつらい。単なる逆恨みなのでやめようと思っても、どうしてもそんな思いが頭の中に出てきてしまう。

 何もスキルや実績がない状態で会社を辞めて、これから仕事を探さなければいけない。ハローワークに通って求人情報を探して、失業保険の申請をして…ってやらないといけない。

 自業自得だし言い訳に聞こえるかもしれないが、何もできない上に無責任に会社を辞めたような人間がまたハローワークで求人を探したところで、また同じような結果になることしか想像できない。いや、辞めた会社の人たちは私に対してかなり甘く接してくれていた。そんな環境ですらやっていけなかったのだから、もっとひどい結果になるかもしれない。 

 でも親の手前、絶対にハローワークで職探しをしなければいけないのではないか…と思ってしまう。正直ハローワークに行きたくない。会社員になるのも怖い。26になるのに親の目を気にしてしまうのが情けない。

 職業訓練校や専門学校に行くと言う選択肢もあるかもしれない。でも、それも今までの人生で何も身につけてこなかったと言う事実を言い訳にして躊躇ってしまう。どうせ続かないだろうと思ってしまう。

 何より親のことを考えると、やはり寄り道せずにハローワークで普通の会社員を目指すしかないのだろうか…と思う。世の中の大抵の人間はそうしているはずだし。何もできない自分には選ぶ権利はない。甘えたことを言っているだけ。

 フリーターや派遣でなくきちんと正社員を目指す。そうするべきなのかもしれない。

 

 会社を辞めた次の日、保険や年金の手続きのために市役所に行った。案外スムーズに終わったので、本当は役所のすぐ近くにあるハローワークに行って失業保険の話やらをしに行くべきだったのかもしれないが、先ほど書いたように本当にハローワークには行きたくなかったのでとりあえず近くの商業施設に服を買いにいくことにした。

 買い物の途中、占いをやっているのを見かけた。実は前から興味があったので占ってもらうことにした。

 手相と、なんか妖怪や神様の絵が描かれたカードで占ってもらった。

 子どもの頃から親の顔色を伺ってきたでしょ、と言われた。言いたいことを色々押し殺してきたとか、仕事は向いてないことをずっとやってたとか言われた。

 また慌てて就職してもうまくいかないかもしれないと。やりたいことを見つめ直す時期なのかもしれないと言われた。30代までの4年間で頑張れと。

 あとは動物園や遊園地で働くことを勧められたり、芸術系、裏方の仕事やマニアックな仕事、自分を曲げないタイプだから一人でのびのびとできる仕事がいいと言われた。営業は向いてないと。バイトでもいいから外に出て積極的に人と関わって、経験積んでコミュニケーション能力をあげて笑顔を作れるようになって、自分に尽くしてくれる女性に出会えるといいらしい。守るものがあると強くなれるとか何とか。

 やりたいことを見つけて、親に言いたいことを言えるようにして、恋人を見つけろと言うことらしい。 

 

 やりたいことね…ないわけではないけど、くだらないしお金にならないし、人様に言うのも恥ずかしい。

 やりたいことって…家族や他人に迷惑がかからないとか、具体的でわかりやすいとか、世間的に恥ずかしくないとか、身の丈に合っているなどの条件を満たしていないと認められない気がする。だから聞かれても言えない。

 

 世の中の大抵の人間はやりたくないことをやっているのに、自分なんかがやりたいことについて考えていいとも思えない。

 

 会社員にはもうなれる自信はないけど、自営業ができるようなスキルもない。やりたいこともない。かと言って親の期待通りハローワークに行くのも嫌だと思ってしまう。

 

 本当にどうすればいいかわからない。

 親のせいにしたいわけじゃない。別に恨んでない。

 でもつい言い訳に使ってしまう。最低だ。

 

 とりあえずやりたいことを考えることにする。

 

 終わり

 

セーラー服の歌人 鳥居という人を知りました。

 久しぶりに書きます。半年以上更新していなかった。どうせだれも見ていないし書きたいこともなかったので別にいいのですが。

 

 

 

 

 

 

 まずは近況報告。

 

 ブログを更新してない間はまあ、普通に仕事して、惰眠を貪るだけの平凡な毎日でした。

 

 最近は死にたい、嫌なことから逃げたいと思いながら自堕落な毎日を過ごしています。

 それはまあどうでもいいですね。

 

 セーラー服の歌人、鳥居さん。一体どんな人なんでしょうね。

 

 鳥居って言ってもお笑い芸人の鳥居みゆきじゃないよってね。

 ちなみに私は中3のときから鳥居みゆきさんのファンです。いや…ファンとは言えないかな。にわかだし、他のファンの人たちに嫌われてますし。それなのに、ファンの人や鳥居みゆきさん本人に失礼なことですが今でもたまに彼女の出演する舞台を観に行ったりしてます。ごめんなさい。

 執着を捨てられないんです。ごめんなさい。

 

…話を戻して鳥居(歌人の方)についてですね

 

 歌人…和歌や短歌を読む人ですね。

 俳句とか短歌とか和歌とか、国語の授業でちょっと触れる程度で、石川啄木とか昔の人で有名な人はいるけど、現代では短歌専門の作家ってあまり話題にならないというか…私が知らないだけかもしれませんけど。

 

 

 私は昨年9月に、ネットニュースの記事になってるのをキッカケに知りました。

 彼女の生い立ちが詳しく書かれた『セーラー服の歌人 鳥居 拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語』(著:岩岡千景 出版:KADOKAWA/アスキー・メディアワークス)、歌集『キリンの子 鳥居歌集』(著:鳥居 出版:KADOKAWA/アスキー・メディアワークス)

が発売中です(宣伝)。

 その2冊を先週購入して今日読み終わったので今回鳥居さんについて書くことにしたんですけどね。

 ああ、彼女のことを知って、本を手に入れて、読むまでに半年以上かかってしまった…。

 我ながらよく半年前に知った人間のことなんて覚えてたものだと思います。

 

 鳥居さんは母の自殺、児童養護施設での虐待、ホームレス生活などかなり波瀾万丈な体験をしてきたらしいです。

 そんな境遇のため学校にもろくに通えず、難しい漢字などは児童養護施設の職員が読み終わって捨てられた新聞などで辞書を引きながら独学で覚えたとのこと。

 そんな彼女が短歌に出会って、自分を表現してきた。彼女の歌は、自身の体験が元になっているのでつらさや悲しさを感じさせるものが多いですが、悲しいだけじゃないというか、明るさや可愛さを感じさせるものもあるし、何より心に染みるというか…寄り添ってくれる感じがする、と私は思いました。

 

 ちなみに言い訳に聞こえるかもしれませんが、私は自分勝手で卑怯でキモいクズですけど、別に他人の不幸が大好物とかそういうわけではありません。

 むしろつらくなってくるのでフィクションならともかく現実では他人の不幸な話や理不尽な話はできる限り聞きたくないです。(いい人アピールかよキモいな…。)

 

 中学のときに厨二病を拗らせてシュールなものや人間の闇を感じさせるものに積極的に触れて好むようになったせいもあると思います。

 まあ厳密に言えば私の場合はそういうものを好む自分が好きというか、人と違うものを好む自分カッケー!とか、そういう部分の方が大きいです。

 本当に気持ち悪い。

 

 

 しかし…実は「この人本当にこんな体験したのかな」と、思っています。

 佐村河内守氏みたいな例もあるし、「こんな体験してないどころか下手したら作品そのものも別の人が…」なんて思ったりもしました。

 これはまあ言い過ぎ考え過ぎですかね。ごめんなさい。

 

 彼女の体験は本当なのか、全部が全部本当ではなく一部脚色しているけど大体本当のことなのか、精神を病んで生まれた妄想によるものか…。

 本当のことはわからないけど、まあ本当でないなら「ああ、凄惨な体験をした人はいなかった。よかったなあ。」で済む話だし、「この歌好きだなあ。」と思ったことに変わりはないのでどうでもいいことかもしれません。

 

 何にせよ、大学時代は文学部で「芸術とは何ぞや?」みたいなことを学ぶゼミに所属して、障害を持った子供やらと関わる機会があった私としてはとても興味が尽きない人です。

 私は義務教育を受けられなかったわけではありませんが、いろいろあって後悔の残る青春時代を送ってきたし、自分を表現することにも少なからず憧れがある。

…本当は表現する「自分」なんてない空っぽ人間だし、手段もないし、憧れというより表現する手段を持っている他人に嫉妬しているだけですけど。

とにかくいろいろあって興味がある。

 

 機会があれば会ってみたい。何かイベントとかやらないのかな。会うことを目標の一つにに生きるのもよきかな。

 本人が読んだらさぞかし気持ち悪かろうな。本当にキモいな。ごめんなさい。

 

 長々とキモいことをすみませんでした。大体書きたいことは書いたので終わります。

 

今日でブログを始めて半年らしい_(:3」∠)_

 どうも、チョビです。久しぶりに書きます。

 はてなブログからメールが来まして、どうやらこのブログを始めて半年になるそうです。

 最近は更新していなくて、ほんの数日前に「約1ヶ月更新していません。そろそろ何か書いてはどうですか。」というメールが来たんですけどね(<_<)

 

 もともと気まぐれと自己満足で始めたもので、特に書くテーマが固まってるわけでもないし、内容は愚痴が大半だし、ネットビジネスを始めようとかっていうわけでもないので…。

 明確な目的がないと、毎日更新し続けるという簡単なこともできないものなんですね。

 

 最近は、仕事を言い訳にしてブログの更新をしていませんでした。ブログも書かない。仕事のための勉強もしていない。読書もしない。

 毎日をうまく過ごすことができていません。

 

…愚痴はこの辺で切り上げて、一旦話題を変えましょうかね。

 

 半年経つって意外と早いものですね。

 3月末に甥っ子(姉の子ども)が生まれたのですが、その子ももう生まれて約半年になります。

 姉は旦那が仕事でいない日なんかにちょくちょく帰ってくるのですが、ほんの1週間見ない間にすくすく成長して、今では首も据わって、寝返りもできるようになって、表情も豊かになって…。

 子どもの成長って、すごい…_(:3」∠)_

 

 

…ちょっと疲れたので今日はこの辺でやめておきます。中途半端ですいません。

 

 それではまた。さようなら。

 

_(:3」∠)_

自分のほんの少しの勇気で人が幸せになるっていう話?_(:3」∠)_

 どうも。久しぶりに書きます。

 

 今朝ね、コンビニに行ったんですよ。ミンティアを買ってトイレを借りようと思って。

 

 私がトイレに入って便座に座って、その直後に「ガチャガチャ!」と、誰かがトイレのドアを開けようとする音がしました。おじさんでした。

 ちゃんと鍵のところを確認してほしいものです。自分もやってしまったことはあるかもしれませんが、やられると結構気分が悪くなりますね。あれ。

 

 待たせるのも嫌だったので用を足すのを一旦諦めて、私はトイレから出ました。待っていた時間の長さからして大きい方だったと思います。

 

 おじさんがトイレから出たのを確認してまたトイレに入りました。

 用を足して、何気なくトイレットペーパーに手を伸ばしたのですが…

 

 

 

 無かったんですよ。紙が。

 

 無い。トイレットペーパーがない。2つあるホルダーのどちらにも無い。替えのトイレットペーパーも見当たらない。

正確に言うと片方のホルダーにほんの一巻き、1回分ぐらいはあったんですけど。

 

 あのおじさん、なんて残し方をしていきやがる…。

 

 内心焦りました。そのうえ、またトイレのドアを「ガチャガチャ!」とあけようとしてくる人が。

 

 紙がなくて焦っているうえに、トイレに入りたがっている人がいる。

 どうしてそんなに私を追い詰める…_(:3」∠)_

 

 つらかったですが幸い、カバンの中にポケットティッシュが入っていたので何とかなりました。ティッシュを入れておいた過去の私に感謝したい_(:3」∠)_

 

 

 なぜ朝っぱらから私がこんな目に合わねばならんのだ…。理不尽だ( *`ω´)

 

 

 そのあと人見知りである私は、知らない人にわざわざ「トイレットペーパーないですよ」と言う気にはなれなかったので、便座のフタにトイレットペーパーの芯を置いておいて、「紙が無い」というメッセージを伝えることにしました。

 

 気づいてくれたでしょうか。

 まあ気づいたところで紙はないから、その人が紙がないことによって不快な気持ちになるかもしれないことに変わりはないのですが…。

 

 別に、「自分も不幸な気持ちを味わったのだから他人も同じ気持ちになるべきだ」なんてことを思ってそうしたわけではありません。むしろ、「教えてあげるべきだろうか」、「店員さんに言うべきだろうか」と考えました。

 しかし、自分が人見知りであることを言い訳にして、紙がないことを伝えるための方法を思いついたことに満足して、逃げてしまいました。

 

 「やらぬ善よりやる偽善」なんていいますが、本当にその通りですね。

 

 私がほんの少し勇気を出せば、不幸な気持ちになる人間が減ったかもしれない…なんて言うと大げさですが、中途半端にいいことをしようと思ってやらずに終わると気分がよくないので、次にこういう機会があれば(ない方がいいけど)、勇気を出して声をかけられるようにしたいです。

 

 長くなってしまいましたが、さいごにこれだけは言っておきたい。

 ・ティッシュは持ち歩いていた方がいい。

 ・公共の場でトイレに入るときはまず紙の確認を。

 ・人がトイレに入っているかどうかちゃんと確認して。ノックで急かされたり、

 ガチャガチャやられると気持ちよくない。中の人は孤独で過酷な戦いの最中かもし

 れません。

 

 さいごだけ覚えてくれたら前半はどうでもいいです。

 

 長々とくだらぬことを書いてすみませんでした。それではまたいずれ_(:3」∠)_

 

 

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