野菜と果物が苦手です。柑橘類が特に。変かしら。
どうもチョビです。いきなりですが、野菜と果物が苦手です。特に生の物が。
肉は好きです。お米も好きです。お菓子も大好きです。不健康極まりない嗜好ですね。
ちなみに嫌いなものは多いけど、幸いなことに食べ物でアレルギー症状が出たことはありません。
まあそれは子どものときの話で、少しずつ食べていくうちに慣れていって、今ではだいぶマシになりました。野菜はねぎや玉ねぎ、香草の類が苦手で、果物は柑橘類が特に苦手です。
今日は、柑橘類が苦手な理由について書いていこうと思います。生理的に無理っていうのが一番簡単ですけど、考えて整理していこうと思います。
【目次】
嫌いな食べ物
誰にでも、アレルギーでどうしても食べられない物以外に嫌いな食べ物があると思います。
その理由は味が嫌、食感が嫌、匂いが嫌、見た目が嫌…などなど、様々ですよね。
私の場合も大抵の嫌いな食べ物があるのは、そういった理由によるものです。例えば、生の玉ねぎなんかは匂いがキツくて嫌です。
まあ煮込んでクタクタになったようなものは食べられるので、あまり気にしてはいないですが。
子どものときからの嗜好が変わらず偏食なまま、という人もいるかもしれませんが、多くの人が少しずつ慣れていったり味覚が変化したりして食べられるようになっていくものです。また、その食べ物自体は克服できなくても、調理法次第で食べられるという場合もあるでしょう。そもそも、無理して食べられるようにする必要のない食べ物もあります。
私の場合、そう考えて未だに避けているものは果物、特に柑橘類です。
ちなみに全く食べられないわけではなく、りんご、ぶどう、パイナップルは食べられます。バナナはお祭りのチョコバナナだけ食べます。いちごはいちご味のお菓子は食べられます。
では、なぜ柑橘類が苦手なのか。それを説明していこうと思います。
柑橘類が苦手な理由
味が苦手というわけではないです。グレープフルーツなんかは無理ですけど。
ハリボーというグミが好きでたまに食べるのですが、それのオレンジ味やレモン味は問題なく食べられます。
そして、今は避けて食べないようにしていますが、幼少時代は給食やおやつを残すことを許されていなかったので、仕方なく食べていました。
あまりうまく言えないのですが、「存在が気に入らない」とでも言った方がいいのでしょうか。味が無理というわけでも、匂いが無理というわけでもない。でも、食べたくないし、匂いもできるだけ嗅ぎたくないし、視界にも入れたくないし、触りたくない。
できれば他の人が食べている場に居合わせたくない。スーパーの売り場を通るのもつらい。今はマシになりましたが、子どもの頃はパニックになり、その場から逃げ出そうとしたほどです。
あの見た目…ブツブツした表皮、中身の白い筋…ヘタがついているのがなんか嫌です。触感も嫌です。
…見た目と触感が気に入らない、ということでしょうか。なんだ。そういうことだったのか。
そこまではなんとなく説明できるんですけど、なぜ見た目と触感が嫌なのかはうまく説明できません。蓮コラが怖いというのと似たようなものでしょうか。少し違う気もしますが。
まあ子どものころからの拘りを捨てられず、わがままなことを言っているだけですね。
…なんかもうあまり考えたくなくなってきました。この辺にしておきます。
最後に
見た目と触感が嫌で柑橘類が苦手、というだけの話でした。
果物が苦手、という人はネットで探せば意外と出てくるし、大学生になってから実際に会いました。
しかし、私のように見た目と触感が嫌で果物が苦手、という人はあまりいないかもしれません。いたら教えてほしいくらいです。
生肉の見た目が無理、という人なんかはたまに見かけますが…。
自分でもうまく説明できないし、子どものころから長いこと持ってしまった感覚はなかなか抜けません。実際のところ克服するつもりもないですが。
今日のところはこの辺でやめておきます。あまり中身のない話ですみませんでした。
ではまた明日。
豆腐メンタルについて
どうもチョビです。最近生きることから逃げてしまいそうで危機感を感じています。強く生きます。
今日は、「豆腐メンタル」という言葉について書こうと思います。ネタ記事です。ふざけます。全然論理的ではないです。ライフハック的な内容でも何でもないです。
【目次】
豆腐メンタルとは何ぞや
言うまでもないことですが、とても弱いメンタルのことですね。プレッシャーに弱いとか、心が折れやすいとか。
ニコニコ大百科やピクシブ百科事典によれば、アニメ『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』の主人公の精神状態を指す言葉として生まれたのではないか、ということだそうです。
豆腐という食べ物がとても脆く柔らかくて崩れやすいことと、精神状態が崩れやすいことをかけて表している言葉というわけですよね。
なかなか言い得て妙というか、使いやすいしわかりやすい言葉ですね。語感の良さもよく使われる理由のひとつではないでしょうか。
「豆腐メンタル」について物申す
しかし待ってください。私はね、「豆腐舐めんなよ!」と言ってみたいのです。
豆腐おいしいじゃないですか。醤油や薬味をかけて冷奴で食べてもいいし、味噌をかけてもおいしいです。湯豆腐も良きですね。ハンバーグの材料にも使えます。素晴らしいですよ。彼は。
ちなみに私の一番のお気に入りの食べ方は、冷奴にミツカンの味ぽんと下ろしショウガをかけるというものです。
心が崩れたら休ませてがんばって直さないといけないけど、豆腐は崩れても食べられるじゃないですか。おいしいじゃないですか。むしろ崩した方がいいときもあるんですよ?
そんなすごいお豆腐さんをね、人間の弱い心の比喩に使うなんて失礼じゃないですか?お豆腐様に。
柔らかくて脆いものなら他にもいっぱいあるじゃないですか。言い表すのに、豆腐以外に他に良いものがあるのではないか?と思うのです。
なので、次にいくつか良さそうなものの候補を考えて書いてみようと思います。
◯◯メンタル
まず、豆腐の性質を考慮すると、豆腐に代わる「◯◯メンタル」に当てはまるものは、やわらかく、脆く崩れやすいものでなくてはいけないでしょう。
そして、これはあくまで私の主観的な意見なのですが、崩れてしまったら役に立たないものを当てはめた方がいいのではないでしょうか。
ただ柔らかいものというだけではイマイチです。例えば…綿あめ、パン、コーヒーゼリー…う〜ん…イマイチだ。
コーヒーゼリーなら豆腐に比べて、崩れても食べられる点では変わらないものの、崩れたら残念な感じが大きいです。しかし、なんかちょっとオシャレな感じになってしまうような気がします。
「コーヒーゼリーメンタル」
…なんか、「スイーツ系男子」、「ロールキャベツ男子」っぽさが漂いますね。
「綿あめメンタル」、「パンメンタル」
う〜ん、柔らかいけど、あいつらギュッ!としたら固くなりますからね。不採用。
現時点では個人的には、「シャボン玉メンタル」がいいと思います。脆いし。
…割ったら終わりですけど。そして割れたら役に立たないどころか何も残りませんけど。ちょっとかわいい気もしますね。
うまく行かない…というか飽きてきたし。やめよう。無理して面白そうなこと言うとメンタルやられる…
やっぱり豆腐がいちばん
考えてみたら、いくら心が脆くても、いずれ立ち直るじゃないですか。柔らかく、脆くて、再生可能なものがいい。崩れてもハンバーグなんかに形を変えて使えることを考えると、やっぱり豆腐でいいじゃん、ってなりました。うまいこと言ったもんだね、考えた人は。
いやー、全然ユーモアのセンスとかないんですけど、昔から面白いネタを考えたいっていう欲求が強くて。ツイッターでもたまにやるんですけどね。うまくいかないです。すみません。
以上、豆腐メンタルよりもいい言葉がないかなーっていう話と、お豆腐ってすごく おいしいよねって話でした。
ではまた明日。
p.s.最初の方で"ライフハック"って打とうとしたら、"ライフ八苦"ってなりました。なんか「生きるのってすごく辛いよね…」みたいな感じの言葉でしょうか。まあ確かに辛いこともたくさんありますが強く生きましょう。
今日もやる気が出ない。現実逃避。
どうもチョビです。たまにはお風呂に入る前にブログを書いてみます。お風呂に入ると、さっぱりして何かをやる気が出るときもあれば、「疲れもとれてスッキリしたしもう何もしたくねー…寝たい。」という気分になるときもあります。私の場合は大抵が後者です。
今日はずっと頭がボーッとしていて何もしませんでした。不安で、現実から逃げたくて何も考えないようにしていました。
何もしなかったというか、正確に言うとずっとスマホを見ていました。まとめサイトを見ていたらネガティブな気分になりました。最近あまり「自分はダメな人間だ」と思わないようにしていたのですが、まとめサイトを見ていたら、「やっぱり自分はダメな人間なのかな。最近調子に乗っていたかもしれない。」と思ってしまいました。
以前までの私なら、その気分をずーっと引きずって1日を過ごしていたところですが、幸い早く立ち直ることができました。
それを考えれば、こうしてブログを書いてネガティブなことを考え過ぎないように心がけたのも全く無駄というわけでもなかったかもしれません。
現実から逃げても何も変わらないので、明日は外に出るとか部屋の中を整理するとかしようと思います。スマホもあまりいじらないようにします。
今日はこの辺でやめておきます。本当は書きたいことがいっぱいあります。読んでほしいです。またがんばります。
ではまた明日。
書く気が起きない。心が疲れているのかしら。
どうもチョビです。もう3月も終わろうとしているのに、未だに肌寒いですね。早く暖かくなってほしいものです。
いつも書くの楽しいというか、結構長い間書くことに集中していられるのですが、今日は、なぜか書く気が起きません。
いろいろ考えていて心が疲れたのだと思います。書きたいことがないわけではありません。むしろいくつかあります。
さすがにいくら中身のない人間である私といえど、まだまだネタ切れではありませんよ。
始めて2週間ほどしか経っていないのにこれはまずいですかね…自分を甘やかすことになりますかね…。
「だれかが見ているわけでもないからいいか」と思ってやめてしまわないかが怖いのです。
でも今日は書く気が本当に起きないのです。
せめてお遊びのネタ記事でも投下しようかと思って過去に作ったコラ画像なんかを見ていたのですが、それすらも嫌になってしまいました。
ですので、今日は考えて書くのをやめておきます。でも一応更新はします。
しかし、「やる気が起きない」とばかり言ってしまうと、本当にいつか全部やる気を無くしてしまいそうになるかもしれないので、気をつけていきたいです。
明日はもっといいことが書けることを期待して終わりにしましょう。
それではまた明日。ありがとうございました。
P.S.この記事を書いている途中、太宰治の短編『トカトントン』を思い出しました。そんなに難しい話ではないので読んでみてほしいです。
かつて自分が読んだ本をもとにブログを書くのも面白そうですね。いつかやりたいです。
人に優しくなりたいですね。人の優しさがこわいです。
どうもチョビです。今日は、先日面接に行った会社にお仕事の体験をさせてもらいました。今日は、そのことから私が感じたことについて書きたいと思います。
【目次】
優しい社長さん
最初にも書きましたが、会社の体験に行きました。アルバイトみたいな感じですね。というか遅めのインターンシップ?とでも言った方がいいでしょうか。
働いた経験もないし、スキルもないし、頭も良くないし、何よりそんなに人柄が優れているわけでもない私に社長さんは、「よかったら体験に来てみませんか」と言って下さいました。
行ってみたはいいものの要領が悪いので、与えられた仕事を一つもまともにこなせませんでした。CADを少しだけ触らせて頂いたのと、書類の整理をしましたが、そんな簡単なことでもものすごく時間がかかり、当初予定していた時間よりも1時間半も延びてしまいました。
それなのに、お給料まで頂いてしまいました。お金をもらえるような仕事をしていないのに。むしろ体験をさせて頂いたのだから、こちらの方こそ授業料を払うぐらいのことなのに。
未だに進路の決まっていない私のことが不憫ですぐに不採用を言い渡すのが忍びなくて、「せめて体験だけでもさせてあげよう」という気持ちになったのでしょうか。
それとも、「体験させてみれば諦めがつくだろう」と思ったのでしょうか。
しかし、社長さんがどんな思惑であったとしても、私が貴重な経験をさせて頂いたことには変わりはありません。
お仕事を体験させて頂いただけでなく、社長さんはこれから社会に出て行かなければならない私に対して様々なアドバイスまでしてくださいました。
そして、本来払う必要のないお金まで頂いてしまいました。
どうして採用するかわからない人間に、ここまでのことができるのでしょうか。
本当に申し訳ないというか、感謝してもしきれません。
優しくされたのはそれだけじゃない。
これより前に行った会社の社員さんもそうでした。「君にはこの仕事は厳しいから不採用だけど、せめて就職の相談に乗ってあげたい」と言ってくださいました。
おまけに焼肉までご馳走になってしまいました。(しかも領収書をもらってなかったので会社の経費で落ちないのです…)
その社員さんは営業職の方で、ご馳走して頂いたお店はお仕事の取引先でもあったので、取引先への挨拶という側面もあるのかもしれませんが、わざわざ日曜日のプライベートな時間を割いてまで不採用である私に対してアフターフォローをしてくださったのです。
それぐらいの心構えが営業職には必要ということなのでしょうか。私のようなものにもここまでの心配りができるから、お仕事の取引先ともいい関係を築くことができて、営業というお仕事もうまくこなせているのかな、と思います。
本当にありがたい話です。そして焼肉がとても美味しかったです。
優しくされるのがこわい。
自分のことをダメな人間だと思っているので、人の優しさを受け取ると申し訳ないというかもったいないな、と感じてしまいます。
これから仕事をするようになれば、今まで以上にいろんな人から厳しい言葉を浴びせられたり、理不尽な仕打ちを受けることになるのでしょう。
普段からネットで上司のパワハラや、迷惑な客の話をよく見聞きします。これからは自分がその中に身を投じなければならないのです。
どうしてみんなもっと他人に対して優しくできないのでしょうか。やはり自分が優しくされなかったり、理不尽な仕打ちを受けたりすると、「あいつも同じ目に合わせてやろう」と思ってしまうもの。
理不尽な仕打ちを受けて心に傷を負って「自分はあんなやつらみたいになりたくないから人に優しくしよう。」とはなかなかならないのでしょうね。
悲しいことに、自分から他人に優しく接しないと人からは優しくされないですし、自分が優しくされないのに人に優しくするのはなかなか難しいです。そもそも人に優しくしてもらうために優しくするのも何か違う気がするし…。難しい…。
「情けは人のためならず」…情けは人のためだけでなく回り回って自分に返ってくるもの。
逆もまた然り。悪意を振りまけばいずれ自分に返ってくる。「因果応報」というやつですか。
それだったら人に優しくした方がいいのにね…。でもなかなかできないね。
まとまらないけどこれぐらいにしておこう。
最後に
今日は本当に疲れました。お仕事の体験もそうですけど、自転車を全力で漕いで返ったのがキツかったですね。大した距離じゃないのに。
疲れると下手くそなブログがさらに雑になってしまってつらいです。書き始めると結構集中できますけど。
…まとまらない感じになってしまいました。すみません。
まあ私ももっと人に人に優しくできるようになりたいな、というお話でした。
まともなお仕事をしていないのにお金を頂いてしまったという経験からも、お金をもらうことの重みを感じることができました。
みなさんも優しくされたら、しっかり返してあげてくださいね。そして、世の中悪い人ばかりじゃないということもみなさんに言いたかったのです。
社長さんたちに優しくされた分、しっかり就職先を決めるなどして返して行けたらいいなと思います。
ではまた明日。ありがとうございました。
今日は酔ってるのでお休みです
どうもチョビです。
今日はちょっと長々と色々書こうと思ったのですが、かなり酔っていて書けそうにありません。
また明日書きます。
よろしくお願いします。
今日は卒業式でした。
どうもチョビです。今日は大学の卒業式でした。卒業式というか正式には学位授与式ですかね。
あっという間の4年間でした。やはり歳を取ると時間の流れが早く感じますね。サークルやゼミでの出来事がついこの間のように感じられます。
何か資格を取るとか、授業で学んだことを深めるということはせず割とボーッとして過ごしてしまったので社会に出て活かせる実践的なスキルや知識を身につけるということが出来なかったのが心残りですが、サークルで新しい趣味ができたし、ゼミでも貴重な経験ができたし、何よりたくさんの人と出会えたので、まあそれでよしということにしておきましょう。
親に、先生に、先輩に、友達に感謝です。
でも学生でなくなったので、行きつけのラーメン屋さんの"学生セット"(750円でラーメン、餃子3個、ライス付き)が食べられなくなったのが寂しいです。(学生のコスプレしていけば食べられるかな)
中学や高校では「◯◯しておけばよかった」なんて後悔してばかりでした。
卒業文集に小さくてミミズのようにグニャグニャで汚い字で、後悔の念を綴っていました…。
またそんなふうに考えてしまうとよくないので、今回はポジティブな感想を書くことにしましょうかね。
これからは自分の力で生きていかなければいけません。無責任な考えのままではいけない。わからないことも自分で何とかしないといけない。
もっと自分の行動に責任を持たなければいけない。学生のときの考え方や生活習慣のままではいけない。
がんばります。
こんなふうにブログを書く余裕があるかはわかりませんが、できる限り続けていきたいです。
それでは今日はこの辺で失礼します。また明日。