いろいろ考えすぎた…
どうもチョビです。最近ネガティブな言葉を吐いたり、考えたりしないように心がけていますが、ちょっとブログのネタを考えていたらいろいろ考えすぎてブログをやっていることへの嫌悪感が生まれてしまいました。
ブログを読むため、そしてブログを読んでもらうためにツイッターで興味を惹かれるブログをやっている人をフォローしているし、ツイッターでもブログの更新をツイートしています。
しかし、そんなことをしていて意味はあるのか、迷惑ではないかと思いました。
私のやるべきことはこれではない、本当にやるべきことをきちんとやらずこんなことをしていてはダメだ…と。
自己表現の場所が欲しいなどと言って、中身のない人間が大して面白くない駄文を垂れ流して誰が喜ぶのか…。
自分を非難するフリをして他人を扱き下ろすことになりますが、こんなことをやっているだけでは、自称YouTuberのチェーンソー男や、2年ほど前に無免許運転の様子を動画配信して逮捕された有名人気取りの男や、胡散臭いビジネス垢でフォロワー稼ぎをする人たちと何も変わらないではないか…と思ったのです。
中身の大したことのない人間が何かをやろうとしても、他人の名言や知識を語るだけになったり、面白いことをやろうとして法を犯して他人に迷惑をかけたり、ということにしかならない。
本当に自分のやるべきことは何か、何を目的としているのかを考えて、きちんと勉強もして、行動に移さないといけませんね。
ちょっとすっきりしました。たまにはこういうことも吐き出さないとダメですね。
くだらない愚痴を書いてすみませんでした。短いですが今日はこれで終わりです。
ではまた明日。ありがとうございました。
叔父さんになりました(_ _).。o○
どうもチョビです。いよいよ明日から4月ですね。いろいろ不安ですががんばっていきましょう。
今日、姉の子どもが生まれました。元気な男の子です。生まれたての赤ちゃんというのはなんというか…尊いですね。
赤ちゃんというのは、何か精神に異常をきたしているような人間でもなければ、可愛く感じるようにできているのでしょうね。弱くて守られるべき存在ですから。
見ていると思わず笑ってしまいます。まあ、赤ちゃんが可愛く感じるのはもちろんですが、私の場合は人の顔をじっと見ているとなぜか笑ってしまうので、笑ってしまうのはそれによるものが大きいですが…←
生まれたての赤ちゃんを見るのは、5つ年下のいとこが生まれたとき以来ですが、子どものときに赤ちゃんを見るのと、大人になってから見るのとではやはり感じ方が違います。
まだ何にも染まっていなくて、人間の最も清いとき。自分を含めて人間はあまり好きではないけれど、人間の、命の尊さというものを感じさせてくれる。
弱く繊細な存在ゆえに、見ているとただ可愛いだけでなくて、守らないといけないという気持ちも出てくる。
「この子もこうして人間として生を受けて、これからいろんなことを経験して成長していくんだよな…」とか、いろいろ考えてしまいますね。
…まあ他人の子どもなんですけどね。文章力ないのにかっこつけました。すみません。
今のところすごく情けない叔父さんなので、いろいろ教えてあげられるマシな人間になるためにもっと色々学んで行こうと思いました。
きっと私は結婚して子どもを授かるということはないでしょうから。
今日は短いですがこの辺で終わりにしておきます。ではまた明日。
ブログを書くって意外と大変でございますな。
どうもチョビです。今日、せっかく頂いた内定を断ってしまいました(※17年卒です)
明日は他の会社に連絡します。
今からでもどこかで正社員で雇ってもらうために行動するとか、最悪バイトを探すとか、自分でお金を稼げるようにしなければいけません。そういう状況です。がんばります。
さて、近況報告はこの辺にして、今日は、ブログを書いていて思ったことを書きます。
【目次】
ブログを書くって大変。
2週間ほどブログを書いてみて、「意外とエネルギー使うなこれは…」と思いました。
まあ大学在学中もレポートを書く機会は何度もありましたが、そんなに頻繁にやってなかったのと、あまり真剣に取り組まなかったのとでそんなに大変な感じはなかったのです。
今はもっと真剣にやってリサーチ力と文章力をつけておけばよかったな、と少し後悔しています。まあ今さら言っても仕方がないのでこれからのブログで鍛えていくことにしましょう。
現時点で私の場合は、何か特別な体験を元に書くとか、それまでの自分のスキルや知識を人に発信するために書くということをせず、自分の思ったことや愚痴を書いてばかりです。
ネットや書籍でリサーチをして記事を書くということをほとんどしていないどころか、推敲すらもしていません。
それでも書き終わった後はすごく疲れて、「もうしばらく何もしたくない…」という気分になります。完璧に自己満足でしかないのですが、多少は達成感もあります。
私のやり方でもこんなに疲れる作業に、さらに労力を注ぐことのできるブロガーやライターって人たちは実はすごいんだなー、と思います。尊敬します。
何事もやってみないとわからないものですね。
たまには自分を褒めてみる。
まあリサーチ抜きの舐めプとはいえ何日も1000字程度書いている自分もすごいなーってことで褒めておきましょうかね。
お金目的でないのにこんなに続けられる自分を少し褒めてあげましょう。でもこのままのやり方で続けても意味ないので色々試していきたいと思います。
そもそも、この程度の頭を使わない作業を続けられたところで何も意味がないので、もっと他のことにもエネルギーを使えるようにしていきたいです。がんばります。
終わりに
今のところ、自分語りと愚痴とつまらぬネタを書くためにやっているだけのブログでしかない。
もっといろいろリサーチしてインプットしないと確実にネタ切れしてやる気がなくなるので、もっと勉強することにもエネルギーを使おうと思います。
そうしていずれは自分のためだけでなく誰かの役にも立つ記事が書けるといいな、と思います。
今日はこの辺でやめておきます。それではまた明日。読んでくれてありがとうございました。
野菜と果物が苦手です。柑橘類が特に。変かしら。
どうもチョビです。いきなりですが、野菜と果物が苦手です。特に生の物が。
肉は好きです。お米も好きです。お菓子も大好きです。不健康極まりない嗜好ですね。
ちなみに嫌いなものは多いけど、幸いなことに食べ物でアレルギー症状が出たことはありません。
まあそれは子どものときの話で、少しずつ食べていくうちに慣れていって、今ではだいぶマシになりました。野菜はねぎや玉ねぎ、香草の類が苦手で、果物は柑橘類が特に苦手です。
今日は、柑橘類が苦手な理由について書いていこうと思います。生理的に無理っていうのが一番簡単ですけど、考えて整理していこうと思います。
【目次】
嫌いな食べ物
誰にでも、アレルギーでどうしても食べられない物以外に嫌いな食べ物があると思います。
その理由は味が嫌、食感が嫌、匂いが嫌、見た目が嫌…などなど、様々ですよね。
私の場合も大抵の嫌いな食べ物があるのは、そういった理由によるものです。例えば、生の玉ねぎなんかは匂いがキツくて嫌です。
まあ煮込んでクタクタになったようなものは食べられるので、あまり気にしてはいないですが。
子どものときからの嗜好が変わらず偏食なまま、という人もいるかもしれませんが、多くの人が少しずつ慣れていったり味覚が変化したりして食べられるようになっていくものです。また、その食べ物自体は克服できなくても、調理法次第で食べられるという場合もあるでしょう。そもそも、無理して食べられるようにする必要のない食べ物もあります。
私の場合、そう考えて未だに避けているものは果物、特に柑橘類です。
ちなみに全く食べられないわけではなく、りんご、ぶどう、パイナップルは食べられます。バナナはお祭りのチョコバナナだけ食べます。いちごはいちご味のお菓子は食べられます。
では、なぜ柑橘類が苦手なのか。それを説明していこうと思います。
柑橘類が苦手な理由
味が苦手というわけではないです。グレープフルーツなんかは無理ですけど。
ハリボーというグミが好きでたまに食べるのですが、それのオレンジ味やレモン味は問題なく食べられます。
そして、今は避けて食べないようにしていますが、幼少時代は給食やおやつを残すことを許されていなかったので、仕方なく食べていました。
あまりうまく言えないのですが、「存在が気に入らない」とでも言った方がいいのでしょうか。味が無理というわけでも、匂いが無理というわけでもない。でも、食べたくないし、匂いもできるだけ嗅ぎたくないし、視界にも入れたくないし、触りたくない。
できれば他の人が食べている場に居合わせたくない。スーパーの売り場を通るのもつらい。今はマシになりましたが、子どもの頃はパニックになり、その場から逃げ出そうとしたほどです。
あの見た目…ブツブツした表皮、中身の白い筋…ヘタがついているのがなんか嫌です。触感も嫌です。
…見た目と触感が気に入らない、ということでしょうか。なんだ。そういうことだったのか。
そこまではなんとなく説明できるんですけど、なぜ見た目と触感が嫌なのかはうまく説明できません。蓮コラが怖いというのと似たようなものでしょうか。少し違う気もしますが。
まあ子どものころからの拘りを捨てられず、わがままなことを言っているだけですね。
…なんかもうあまり考えたくなくなってきました。この辺にしておきます。
最後に
見た目と触感が嫌で柑橘類が苦手、というだけの話でした。
果物が苦手、という人はネットで探せば意外と出てくるし、大学生になってから実際に会いました。
しかし、私のように見た目と触感が嫌で果物が苦手、という人はあまりいないかもしれません。いたら教えてほしいくらいです。
生肉の見た目が無理、という人なんかはたまに見かけますが…。
自分でもうまく説明できないし、子どものころから長いこと持ってしまった感覚はなかなか抜けません。実際のところ克服するつもりもないですが。
今日のところはこの辺でやめておきます。あまり中身のない話ですみませんでした。
ではまた明日。
豆腐メンタルについて
どうもチョビです。最近生きることから逃げてしまいそうで危機感を感じています。強く生きます。
今日は、「豆腐メンタル」という言葉について書こうと思います。ネタ記事です。ふざけます。全然論理的ではないです。ライフハック的な内容でも何でもないです。
【目次】
豆腐メンタルとは何ぞや
言うまでもないことですが、とても弱いメンタルのことですね。プレッシャーに弱いとか、心が折れやすいとか。
ニコニコ大百科やピクシブ百科事典によれば、アニメ『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』の主人公の精神状態を指す言葉として生まれたのではないか、ということだそうです。
豆腐という食べ物がとても脆く柔らかくて崩れやすいことと、精神状態が崩れやすいことをかけて表している言葉というわけですよね。
なかなか言い得て妙というか、使いやすいしわかりやすい言葉ですね。語感の良さもよく使われる理由のひとつではないでしょうか。
「豆腐メンタル」について物申す
しかし待ってください。私はね、「豆腐舐めんなよ!」と言ってみたいのです。
豆腐おいしいじゃないですか。醤油や薬味をかけて冷奴で食べてもいいし、味噌をかけてもおいしいです。湯豆腐も良きですね。ハンバーグの材料にも使えます。素晴らしいですよ。彼は。
ちなみに私の一番のお気に入りの食べ方は、冷奴にミツカンの味ぽんと下ろしショウガをかけるというものです。
心が崩れたら休ませてがんばって直さないといけないけど、豆腐は崩れても食べられるじゃないですか。おいしいじゃないですか。むしろ崩した方がいいときもあるんですよ?
そんなすごいお豆腐さんをね、人間の弱い心の比喩に使うなんて失礼じゃないですか?お豆腐様に。
柔らかくて脆いものなら他にもいっぱいあるじゃないですか。言い表すのに、豆腐以外に他に良いものがあるのではないか?と思うのです。
なので、次にいくつか良さそうなものの候補を考えて書いてみようと思います。
◯◯メンタル
まず、豆腐の性質を考慮すると、豆腐に代わる「◯◯メンタル」に当てはまるものは、やわらかく、脆く崩れやすいものでなくてはいけないでしょう。
そして、これはあくまで私の主観的な意見なのですが、崩れてしまったら役に立たないものを当てはめた方がいいのではないでしょうか。
ただ柔らかいものというだけではイマイチです。例えば…綿あめ、パン、コーヒーゼリー…う〜ん…イマイチだ。
コーヒーゼリーなら豆腐に比べて、崩れても食べられる点では変わらないものの、崩れたら残念な感じが大きいです。しかし、なんかちょっとオシャレな感じになってしまうような気がします。
「コーヒーゼリーメンタル」
…なんか、「スイーツ系男子」、「ロールキャベツ男子」っぽさが漂いますね。
「綿あめメンタル」、「パンメンタル」
う〜ん、柔らかいけど、あいつらギュッ!としたら固くなりますからね。不採用。
現時点では個人的には、「シャボン玉メンタル」がいいと思います。脆いし。
…割ったら終わりですけど。そして割れたら役に立たないどころか何も残りませんけど。ちょっとかわいい気もしますね。
うまく行かない…というか飽きてきたし。やめよう。無理して面白そうなこと言うとメンタルやられる…
やっぱり豆腐がいちばん
考えてみたら、いくら心が脆くても、いずれ立ち直るじゃないですか。柔らかく、脆くて、再生可能なものがいい。崩れてもハンバーグなんかに形を変えて使えることを考えると、やっぱり豆腐でいいじゃん、ってなりました。うまいこと言ったもんだね、考えた人は。
いやー、全然ユーモアのセンスとかないんですけど、昔から面白いネタを考えたいっていう欲求が強くて。ツイッターでもたまにやるんですけどね。うまくいかないです。すみません。
以上、豆腐メンタルよりもいい言葉がないかなーっていう話と、お豆腐ってすごく おいしいよねって話でした。
ではまた明日。
p.s.最初の方で"ライフハック"って打とうとしたら、"ライフ八苦"ってなりました。なんか「生きるのってすごく辛いよね…」みたいな感じの言葉でしょうか。まあ確かに辛いこともたくさんありますが強く生きましょう。
今日もやる気が出ない。現実逃避。
どうもチョビです。たまにはお風呂に入る前にブログを書いてみます。お風呂に入ると、さっぱりして何かをやる気が出るときもあれば、「疲れもとれてスッキリしたしもう何もしたくねー…寝たい。」という気分になるときもあります。私の場合は大抵が後者です。
今日はずっと頭がボーッとしていて何もしませんでした。不安で、現実から逃げたくて何も考えないようにしていました。
何もしなかったというか、正確に言うとずっとスマホを見ていました。まとめサイトを見ていたらネガティブな気分になりました。最近あまり「自分はダメな人間だ」と思わないようにしていたのですが、まとめサイトを見ていたら、「やっぱり自分はダメな人間なのかな。最近調子に乗っていたかもしれない。」と思ってしまいました。
以前までの私なら、その気分をずーっと引きずって1日を過ごしていたところですが、幸い早く立ち直ることができました。
それを考えれば、こうしてブログを書いてネガティブなことを考え過ぎないように心がけたのも全く無駄というわけでもなかったかもしれません。
現実から逃げても何も変わらないので、明日は外に出るとか部屋の中を整理するとかしようと思います。スマホもあまりいじらないようにします。
今日はこの辺でやめておきます。本当は書きたいことがいっぱいあります。読んでほしいです。またがんばります。
ではまた明日。
書く気が起きない。心が疲れているのかしら。
どうもチョビです。もう3月も終わろうとしているのに、未だに肌寒いですね。早く暖かくなってほしいものです。
いつも書くの楽しいというか、結構長い間書くことに集中していられるのですが、今日は、なぜか書く気が起きません。
いろいろ考えていて心が疲れたのだと思います。書きたいことがないわけではありません。むしろいくつかあります。
さすがにいくら中身のない人間である私といえど、まだまだネタ切れではありませんよ。
始めて2週間ほどしか経っていないのにこれはまずいですかね…自分を甘やかすことになりますかね…。
「だれかが見ているわけでもないからいいか」と思ってやめてしまわないかが怖いのです。
でも今日は書く気が本当に起きないのです。
せめてお遊びのネタ記事でも投下しようかと思って過去に作ったコラ画像なんかを見ていたのですが、それすらも嫌になってしまいました。
ですので、今日は考えて書くのをやめておきます。でも一応更新はします。
しかし、「やる気が起きない」とばかり言ってしまうと、本当にいつか全部やる気を無くしてしまいそうになるかもしれないので、気をつけていきたいです。
明日はもっといいことが書けることを期待して終わりにしましょう。
それではまた明日。ありがとうございました。
P.S.この記事を書いている途中、太宰治の短編『トカトントン』を思い出しました。そんなに難しい話ではないので読んでみてほしいです。
かつて自分が読んだ本をもとにブログを書くのも面白そうですね。いつかやりたいです。